日本酒の歴史 起源から現代までの歩み

日本酒の起源は諸説ありますが、紀元前3000年~2000年の縄文時代、または弥生時代に稲作の伝来とともに始まったとされています。 縄文時代中期(紀元前4000〜同3000年頃)にはお酒が造られていた痕跡が残っているそうです。

日本酒 丹波篠山狩場一酒造

1.日本酒のはじまり

日本酒が最初に登場する書物は、奈良時代(712年)に編纂された日本最古の歴史書「古事記」です。
八つの頭をもつ八岐大蛇ヤマタノオロチ須佐之男命スサノオノミコトがお酒で酔わせて退治する有名な日本神話ですが、これに登場するお酒「八塩折之酒やしおりのさけ」が、日本最古の日本酒といわれています。

また「大隅国風土記おおすみのくにふどき」にも米を原料とした酒として「口噛みの酒」が記録されています。
※奈良時代(713年以降)に編纂された、大隅国(現在の鹿児島県東部)の文献です。原本は失われていますが、「米を原料とした酒」に関する記述が逸文として残っています。

日本最古のお酒「口噛み酒」

日本酒発祥当時、酒造りの製法の1つとして「口噛みノ酒」に関する記述が残っています。

お酒の原材料に『米』が使われていたと記される『大隅国風土記おおすみのくにふどき』には、加熱した穀物(米)を口でよく噛み、唾液の酵素で糖化させ、野生酵母によって発酵させる「口噛み」という手法を用いてお酒を造っていたという旨が記録されています。アルコールは酵母が糖分を分解してつくられますが、口噛み酒も同じで、原料の米(でんぷん)を噛むことで唾液に含まれるアミラーゼがでんぷんを分解して糖に変わり、それが自然酵母と発酵してアルコールが生成されます。

最初の日本酒
イラスト:イラストAC
この頃のお酒は、神事に携わる主に巫女が、神様への神聖な捧げものとして扱っていました。先述した八岐大蛇伝説に登場する「八塩折之酒やしおりのさけ」も、クシナダヒメ(女神)が作った口噛み酒です。
口噛み酒は現在の貴醸酒に近い甘口のお酒であったとされています。

日本酒が日常的に飲まれるようになったのはいつから?

日本酒が一般庶民の日常的な楽しみとなったのは、主に「江戸時代」からです。

それ以前の鎌倉・室町時代にも、京都などの都市部では「造り酒屋」が繁盛し、お酒が商品として流通し始めていました。しかし、地方を含めた全国の庶民にまで広く浸透したのは、物流が整備され、伊丹や灘といった地域で大規模な酒造り(大量生産)が行われるようになった江戸中期のことです。

この頃には「居酒屋」の原型となる店も登場し、夕食の彩りとして、あるいは庶民の社交の道具として、日本酒は人々の生活に欠かせない「日常の嗜み」へと変わっていきました。
 
 

2.現在の酒造りになるまでの日本酒の歴史

日本酒の歴史は、単なる飲料の変遷ではなく、日本の稲作文化や八百万の神々への信仰と深く結びついています。
弥生時代にお米が伝わったことで日本酒の原型が誕生しました。そこから現代の洗練された清酒に至るまで、技術はどのように進化し、人々に親しまれるようになったのでしょうか。
その壮大な物語を時代ごとに紐解いていきましょう。

縄文時代~弥生時代

縄文時代~弥生時代にかけては、伝来した稲作の技術が治水や灌漑による水田の整備、お米の貯蔵・調理・加工法の発展とともに広がっていった時代です。弥生期の末までには本州北端にまで広がり日本全土に定着しました。
こうした技術発展の過程で、原始的な口噛み酒から徐々に醸造技術が発展し、日本酒が本格的に造られ始めました。
 
 

飛鳥時代~奈良時代

米麹を使った醸造法が普及し、宮廷に「造酒司みきのつかさ」という役所が設けられ、計画的な酒造りが行われていました。

造酒司(みきのつかさ/さけのつかさ) 昔の日本中央政府の律令制に基づき、酒の製造と管理を担当した国の役所(官司)のこと。 朝廷の酒造りを管理する造酒司は皇室や神社などへの供物として提供される酒の製造も行っており、日本酒の歴史において極めて重要な役割を担っていました。
奈良県に、奈良時代の役所跡を発見当時の状態で展示する「平城宮跡遺構展示館」があります。ここではかつて「造酒司」で使用されていた井戸の遺構模型が展示されています。
 
日本酒の歴史 造酒司
写真:photoAC
 
 

奈良時代

奈良時代(710年~794年)になると、米を原料とする酒造りが本格的に普及するようになりました。造酒司に専門の「酒部さかべ」が配置され、国家事業として酒造りの体制が整えられました。

酒部(さかべ)
造酒司みきのつかさ」に所属し、朝廷に献上するお酒造りの実務を担当した専門の技術者(集団)を指します。

「播磨国風土記」(713年頃)では、神に供えた飯にカビ(麹)が生えたため、それを用いて酒を造らせたということが書かれています。また先述した「古事記」(712年)には中国から伝来した麹を使って酒造りをしたという記述があります。
この頃の日本酒は発酵したもろみを沈殿させて、澄んだ上澄み部分を貴族など一部の特権階級が、底にあるどろどろとしたもろみの部分を庶民が飲んで楽しんだとされています。

時代が進むにつれて朝廷で働いていた技術者が流出し、寺院や神社といった場所に酒造りが広まっていったとされます。
 
 

鎌倉時代と室町時代

日本酒の歴史において、鎌倉時代は転換期、室町時代は発展期となりました。

米俵

日本酒はお米と同等の価値がある商品として流通、武家社会の到来とともに民間の「酒屋」へと事業が移っていきました。
特に京都での発展が著しく、洛中洛外(京都の中心部と郊外)で「酒屋の酒」として隆盛し、200軒以上の造り酒屋が軒を並べました。その後、金融業を担う「土倉どそう」と結びつき、「土倉酒屋」として発展。日本初の酒の銘柄(商標)が誕生しました。

醸造技術においては、室町時代から戦国時代には「三段仕込み」や「火入れ」といった現代の酒造りの原型ともされる製法が使用されていたといわれています。
正暦寺しょうりゃくじが「諸白もろはく仕込み」「三段仕込み」「菩提酛ぼだいもと造り」「火入れ」などの近現代の日本酒造りの基礎となる製法を完成させており、しばしば正暦寺は「清酒発祥の地」や「日本酒発祥」の地と呼ばれます。

奈良県の正暦寺についてはこちらから詳しくご覧になれます。
 
 

江戸時代

江戸時代になると、一般的な農村でも小規模な酒造りが行われるようになりました。
しかし、酒市場の拡大にともない幕府によって大規模な酒造業の統制が行われました。幕府は酒造業を統制するため、株札を交付し、許可された者だけが酒造りを行える制度(酒造株)を確立しました。
これを「酒株制度さけかぶせいど」と呼び、酒造りに一定の制限(酒造制限令)が設けられました。
これは飢饉時に、主食である米が酒造りに大量消費されて米価が高騰するのを防ぐことが目的となります。また業者には「株高」と呼ばれる製造石高(生産量の上限)が割り当てられ、無断での増産は禁止されていました。

現代の日本酒の最大の産地である兵庫県の灘五郷は、この時代に形成されました。
江戸の人口が急増し始めると、伏見、伊丹、池田などで酒造りを行っていた蔵人たちは、気候や水質が酒造りに最適かつ江戸への出荷に便利な灘五郷地域に移り住みました。
元禄年間、町人文化が栄えると、日本酒の消費量が急増し大量の樽酒が上方(大阪や伊丹や灘五郷)から江戸に出荷されました。上方の上質な酒は大変な人気を博し、この時代、江戸で飲まれていた酒の8割が上方のものだったといわれています。
 
 

明治時代~現代

明治8年に初めて醸造税が導入されました。
明治29年には、江戸時代の酒株が廃止され、税率の大幅な引き上げが行われました。(日清・日露戦争の軍費調達のため、税は度々引き上げられました)
度重なる増税で酒造業者に大きな負担がかかったことで、明治後期には酒蔵は全盛期の半数以上も減少。同時に、一升瓶の登場により日本酒の持ち運びが手軽になったことで、晩酌(家飲み)の文化が一般家庭に普及しました。
江戸時代にも晩酌の文化は存在していましたが、当時は樽からの量り売りが主流でした。

丹波篠山まえ川

酒造りにおいては、科学技術の進歩に伴い、温度計の普及・高度な精米機の開発・ホーロータンクの導入など現代につながる発展を遂げます。

昭和に突入すると、戦争によってお米に様々な規制がかかり、日本酒造りは一時的に低迷することになります。このような背景から、この時代は合成清酒や三増酒さんぞうしゅが多く製造、消費されました。
戦争が終結すると、日本は高度経済成長期をむかえます。
日本酒の消費量が増加するほか、酒造りにおける機械化も進み空調設備の導入で1年を通して日本酒を造ることが可能になりました。
また小規模な酒蔵は他社と差別化を図るため、「純米酒じゅんまいしゅ」や「吟醸酒ぎんじょうしゅ」、「本醸造ほんじょうぞう」などの製法に力をいれるようになったといわれています。
これらの製法が異なる日本酒が普及したことにより、平成2年に「清酒の製法品質表示基準」が定められ、ラベルの表示が義務づけられました。これにより「特定名称酒」「普通酒」という通称が広まったとされています。
 
 

3.国内における、日本酒発祥の地

諸説ありますが、主に下記のエリアが発祥の地として存在します。

●奈良県「正暦寺(しょうりゃくじ)」
室町時代に現代に近い清酒の醸造法である、酵母「菩提酛ぼだいもと」と「諸白造り」、仕込みを3回に分けて行う「三段仕込み」を確立。

●兵庫県宍粟市
「播磨国風土記」に、飯に生えたカビ(麹)を用いて酒を造らせたという旨の、日本酒に関する最古の記述がある。宍粟市の庭田神社では酒の神が祀られている。

●島根県出雲地方
「古事記」の時代、酒造りが行われたとされる。
 
 

余談、三増酒とは?

日本酒の歴史の中で、欠かせないのが「三増酒さんぞうしゅ」です。

三増酒(さんぞうしゅ)
三増酒さんぞうしゅとは、戦後の米不足時代に導入された「三倍増醸清酒さんばいじょうぞうせいしゅ」の通称です。

米と米麹でつくった日本酒に、多量の醸造アルコールや糖類、水などを添加して水増しし、その結果もとの約3倍の清酒を量産していました。純米酒を造った場合と比較し約3倍の収量になることから、三倍増醸酒(三増酒)と呼ばれます。
2006年の酒税法改正により、副原料の使用量は白米重量の50%以下などの基準が厳格化されました。それにより「三増酒」を名乗るお酒は「清酒」として認められず、リキュール類や雑酒に分類されるようになりました。
 
 
日本酒の歴史を知ると、今夜飲む一杯がさらに美味しく感じられますよね。
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